かつらお村大尽屋敷跡
 11代にわたってこの地に栄華を誇った松本家。その2ヘクタールに及ぶ邸宅跡には、苔むした石垣、近江八景をかたどった池、磨崖仏などが残っています。
 残念ながら建造物は焼失してしまったものの、享保年間に都から嫁いできたおいね婦人の移植した「京桜」が往時をしのばせます。
 また周辺には、いちいの古木、薬寺の三匹獅子などの歴史的な遺産が数多く残っています。

【松本三九郎】

[大尽邸宅略図]

[磨崖仏]

 人口約2000人、この住民の約半数は「松本」姓です。
 これはこの村の大字である葛尾地内に、数百年も昔から「葛尾大尽」松本三九郎一族が居り、使用人百数十人といわれた大尽緑氏の人々及び末葉が、明治の初年に「松本」姓を名乗ったものです。

 山村の悪条件の中に旧三春藩は勿論、相馬、棚倉などの各藩に多額の献上金、貸上金をして、藩の経済圏の一部に介入し繁栄を誇った「三九郎大尽」とは・・・。

 松本家の祖は時の左大臣藤原魚名(721〜783)の末裔で、信州葛尾城主の系譜で、松本勘ヶ由助親家は村上氏の圧迫により奥州に逃れてきたものといわれております。

 親家の嫡男親照が大永初年の頃相馬顕胤公に仕え、田村の境目押しとして落合村の奥地を与えられ(故郷信州の葛尾に因んでこの地を「かつらお」と名付けたと考えられます)当地に居住6代目好倉より11代目に亘り鉄は勿論山林伐採の権利、酒造米買入株、塩、酒造株繭、糸株等の経営活動を行い栄華を誇った。

 邸宅は2ヘクタール余に及び築城用石を用い、池は近江八景を形どる等豪荘を極め、磨崖仏、観音堂わきの墓石群、菩提寺等往時をしのばせるものがある。

 明治4年と昭和8年に2度の火災にあい、建造物の大半を焼失したが、享保年間京都東御門跡御内遠藤兵部の娘、おいね婦人が嫁入りした際に持参移植したと伝えられる京桜は、石垣の池に影を写し、三春藩主を招いて能狂言を行った豪華な昔をしのぶように咲き続けている。